生きているということ

昨年12月に友人が亡くなった。11年前に乳がんが見つかり、その時にはすでに癌は骨にまで転移していた。

11年間乳がんに効く抗がん剤という抗がん剤は使ったのではないだろうか。

抗がん剤の影響で髪が抜けてしまうため、彼女はウイッグを常に使用していたそうだが、数年前まで全く知らなかった。

抗がん剤は免疫ができてしまうと効かなくなってしまうため、その度に違う抗がん剤に変えなければならないそうだ。

抗がん剤によってはだるさや吐き気がひどく丸一日身体が動かない日もあったようだ。

またその反対に全く身体には影響を感じない抗がん剤もあるようで、それも人によって違うらしい。

それでも彼女は二人の子育てをし、体調不良で2年間位休職していた時期もあったが、それ以外は会社勤務もしていた。

朝は5時頃から起きだし、庭の花や木々に水をやり、ゴミ出しをし、家族の食事の支度をしてから会社に向かった。

休日にはパンを焼き、友達を招いた。また海外旅行が大好きで家族4人で年に2回は出かけていた。

本当はCAになりたくて、若い頃に何度かチャレンジしたが夢は叶わなかったと話してくれた。

私は彼女をずっとマグロの様な人だなと思っていた。

それくらい彼女はいつも忙しく動き回っていた。

動くのを止めたら死んでしまうかの様に。

もしかしたら彼女は毎日、毎朝、生きていることを確認していたのかもしれない。

常に普通に明日があるとは思えなかったのではないだろうか。

11年間、生きていることを確認しながら生きる生活はどんなに不安だっただろう。

常に準備をしなければならない毎日を私は想像することすらできやしない。

12月になったある日、体調が悪くなり入院すると言うので私は病院まで車で送り入院手続きが済むまで付き添うことにした。

その日、彼女に合った私は今まで黄疸があんなにも人間を黄色くしてしまうとは思ってもいなかった。

私は今まであんなにも腹水が溜まってしまうものだとは知らなかった。

それくらい彼女の体調は悪かったはずなのに彼女は「電車で妊婦さんと間違われ席を譲られちゃった。そんなに若く見えるかしら?」などとお道化てみせた。

「クリスマスには退院するつもりよ」とも言っていたのに、クリスマス前に冷たい身体で帰宅することになってしまった。

長年、抗がん剤を使用した結果の肝機能不全によるものだった。

11年間という長い年月を癌と闘い続け身体が疲弊してしまったのだ。

彼女はもう生きていることを確認する作業と恐怖から解放されたのだ。

それでもやっぱり彼女は生きていたかったはずだ。

子供たちの嫁ぐ姿を見たかったはずだ。

孫を抱きたかったはずだ。生きていることを確認し続けたかったはずに違いないのだ。